札幌高等裁判所 昭和57年(行コ)2号 判決 1985年6月26日
控訴人 苫小牧労働基準監督署長
代理人 菊池至 小畑昭次 ほか二名
被控訴人 岡崎はつえ
主文
原判決を取消す。
被控訴人の請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
一 申立
(控訴人)
主文同旨の判決を求める。
(被控訴人)
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
旨の判決を求める。
二 主張
当事者双方の事実上の主張は、原判決事実摘示と同一であるから、これをここに引用する(ただし、原判決二枚目裏三行目から同じく四行目(同八行目)にかけて「昭和五〇年一月二九日」とあるのを「昭和五一年一月二九日」と、同五枚目表一一行目に「帰因」とあるのを「基因」と、同六枚目表六行目に「吸引」とあるのを「吸入」と、それぞれ訂正する。)。
三 証拠関係 <略>
理由
一 請求原因第一、第二項の事実及び第三項のうち労働保険審査会の裁決の送達に関する部分を除くその余の事実は、いずれも当事者間に争いがなく、右裁決が昭和五二年二月二六日に被控訴人に送達されたことは、弁論の全趣旨によつてこれを認めることができる。
二1 そうすると、亡義雄の死亡が労災法第一二条の八第二項、労働基準法(以下「労基法」という。)第七九条、第八〇条に規定する「労働者が業務上死亡した場合」に該当するか否か、具体的には亡義雄の死因である肺がんが労基法第七五条第二項、昭和五三年労働省令第一一号による改正前の労基法施行規則(以下「労基規則」という。)第三五条第三八号に規定する「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当するか否かが本件の主たる争点となるところ、粉じんを飛散する場所における業務によるじん肺症(以下「じん肺」という。)については一般に業務起因性が認められているから(同規則第三五条第七号)、亡義雄が粉じんを飛散する場所における業務に従事していたためじん肺に罹患していること及びこのじん肺と前記肺がんとの間に因果関係の存在することが認められる場合には、右肺がんについても業務起因性が認められることとなる。
2 被控訴人は亡義雄がじん肺に罹患していた旨主張するので、まずこの点について判断する。
(一) <証拠略>によれば、亡義雄は、昭和一二年一月から同二〇年八月まで軍隊生活を送つた後、同二三年四月二〇日頃まで自宅において漁業に従事し、昭和二三年四月二四日頃から同三八年七月末頃まで三井鉱山株式会社上砂川鉱業所で炭坑内における掘進、採炭作業に、同四四年二月一〇日頃から同年六月二〇日頃まで及び同四五年一月一六日頃から同年五月末頃まで三笠工機株式会社で坑内における掘進作業に、同年六月一日頃から約三か月間日本採石工業株式会社で岩石発破作業に、同年九月五日頃から同四八年五月頃まで金田一建設でダム水路掘進作業に、それぞれ従事し、結局通算約一九年間にわたつて、粉じんを飛散する場所における業務に従事していたこと、並びに同人は二一才の頃から入院加療を受けた五七才当時まで一日約二〇本程度の煙草を吸つていたこと、の各事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。
(二) <証拠略>によると、次の事実が認められる。
(1) 亡義雄は、昭和四八年五月二四日札幌市内の天使病院において肺がんの疑い及びけい肺の疑いがあると診断されたこと。
(2) 亡義雄は同月二八日岩見沢市内の岩見沢労災病院において、エツクス線撮影による写真の像は、じん肺法(昭和五二年法律第七六号による改正前のもの。以下同じ。)第四条第一項所定の第一型(以下「第一型」のようにいう。)またはその疑い程度のじん肺に罹患しているものと一応診断されたが、この診断の確定にはなお経過観察を要するものとされていたこと。
(3) 亡義雄は、同年六月四日札幌市内の国立札幌病院において、エツクス線写真の所見上右肺上葉部に異常陰影が認められるとして同病院に入院したが、同病院では第二型のじん肺であると判断していたこと。
(三) <証拠略>によると、財団法人労働科学研究所の医師である証人佐野辰雄は、亡義雄の解剖の際に作成された同人の肺の病理組織標本を検討した結果、同標本に見られる粉じんは一ないし二ミクロンの微細黒色じんが多数を占めるほか、大型黒色じん及び透明じんも存在すること並びに線維化の程度の弱い小粉じん結節の多発が見られるので、じん肺(非典型けい肺)に該当するものとし、また、大・中気管支の繊毛円柱上皮及び粘液上皮は減少し、方形上皮の異常増殖部位が著明に増加していること、粘膜下組織では著明な滑平筋増殖していることが見られるので慢性気管支炎に該当するとし、さらに、細気管支壁上皮は方形化し、二ないし三層に重畳し、異型化を伴つた異常増殖の像を示し、連続する肺胞壁にも同種の変化を示す部分が増加しているとし、これらは岩見沢労災病院において撮影したエツクス線写真によつても確認できるとの見解を述べていることが認められる。
(四) <証拠略>、原審における証人宮川明、当審における証人千代谷慶三の各証言によると、次の事実が認められる。
(1) 亡義雄の遺体は死亡の翌日である昭和四八年一一月五日前記国立札幌病院において藤田医師の執刀により解剖に付されたこと。
(2) 同病院研究検査科科長宮川明は、その際に作成された剖検記録及び病理組織標本を検討したうえ、亡義雄の左右両肺各葉の肺胞壁、中小血管周囲及び小気管支周囲には軽度ないし中等度の炭粉沈着像がほぼ同程度に散在していていわゆる炭粉沈着症状を呈していたと認められるものの、とくに結節性変化ないし肉芽性変化や著明な肺気腫像を認めることができず、肉眼的及び一般の光学顕微鏡では喫煙、一般都市粉じん等によるそれとの明瞭な区別はなし得ないとし、また、検索し得た範囲では気管支上皮の基底細胞増殖像、扁平上皮化生、異型増殖及び末梢気管支上皮の過形成並びに腺腫様増殖像等の異常増生像は認められないとしていること。
(3) 労働福祉事業団の珪肺労災病院長千代谷慶三は、国立札幌病院において昭和四八年六月四日から同年一〇月一一日までの間に撮影された亡義雄のエツクス線写真二六葉を読影し、そのいずれにもじん肺による陰影は存在しないと判断していること。
(五) そこでこれらを対比検討するに、本件においては、佐野証人と宮川証人はともに亡義雄の病理組織標本を検討して前記のように相異なる判断に到達しているものであるところ、宮川証人は病理学を専攻し、当時すでに二千数百体を超える剖検の経験を有しているのであるから(<証拠略>により認める。)、仮に、佐野証人が指摘する典型けい肺よりも線維化の程度が弱い粉じん結節が存在していたものとすると、通常これを見落とすことは考えられない(全証拠によるもこれを見落としたと解すべき特別の事情は認められない。)。また、前記千代谷証言によると、前記の千代谷証人の判断は、二〇年以上の長期に亘りじん肺の臨床研究を専門としてきた同証人が、読影診断に至適な条件で撮影され仕上げられたエツクス線写真につき、標準フイルムを参考にしながら読影した結果によるものであることや、亡義雄が過去においてけい肺と診断されたことがなく、前記岩見沢労災病院における心肺機能検査の結果が正常と判定されていること(いずれも<証拠略>により認められる。)のほか、佐野証人は非典型けい肺に属するじん肺の根拠としたけい酸含有率について一般論から推認し、また、エツクス線写真の読影にあたつても標準フイルムと照合せずに自己の直感で行なつた旨述べているのみならず、当然に提供されている筈の病理組織標本の一部について、これが存在していなかつた旨供述していること(いずれも<証拠略>により認める。)などに照らすと、亡義雄において長期に亘り前記のとおりの職業に従事していること及び佐野証人が昭和二二年以来じん肺の臨床病理学を専門に研究し、豊富な経験を有する医師であることを斟酌しても、なお、その判断及びこれと同旨の見解はいずれも直ちにこれを採用することはできないし、他に亡義雄にじん肺の存在を認めるに足りる証拠はない。
3 亡義雄の死因である肺がんと前記炭粉沈着症との間の因果関係の存否については、<証拠略>は、いずれもこれを肯定するかの如くであるが、右各証拠もその可能性を否定できないというにすぎないものであつて、全証拠によつてもその間に相当因果関係があるものと認めることはできない。
4 右のほか、亡義雄の右肺がんが業務に起因すると認めるに足りる証拠はない。
三 以上のとおりであるから、控訴人が亡義雄の死亡につき被控訴人に対し遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分をしたことは結局相当であつて、その取消を求める被控訴人の本訴請求は理由がないからこれを棄却すべきものである。
よつて、被控訴人の請求を認容した原判決は失当であるからこれを取消して被控訴人の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第九六条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 瀧田薫 吉本俊雄 和田丈夫)